1920 年代
三菱電機長崎ラグビー部が創部された長崎製作所は、1923年(大正12年)に「神戸製作所長崎工場」として発足。
翌1924年(大正13年)、長崎市丸尾町の三菱電機神戸製作所長崎工場が独立し「三菱電機長崎製作所(丸尾工場)」となる。
・創立時540名の従業員でタービン発電機・船舶用電機品・電動機などの大型重電機の製作を開始した。
この時代、長崎ではラグビーが大人気で、休日ともなるとあちこちの球場でラグビーの試合が行われていた。
そのような中、1927年(昭和2年)三菱重工長崎ラグビー部が発足する。
当時、重工・長船の吉田義人氏からラグビー精神の指導を受け、職工大会に出場したことが当部の先駆けとなった。
また、翌1928年には三菱系各社の有志により「関東全三菱ラグビー倶楽部」が結成、活動が開始される。
長崎のラグビーの精神歌
「駕籠に乗る人 駕籠かつぐ人 そのまたわらじを作る人」(吉田義人作)
三菱造船 吉田義人氏のフェアプレイを重んじる心をこの歌に込めて歌い続けられている。
1940 年代
1950 年代
国民体育大会・九州決勝
10月7日 VS 全福岡:0(0-39/0-27)66(於:平和台)
全国社会人ラグビー大会・長崎県予選
11月9日 VS 三菱造船㈱長崎造船所:0対56(於:長崎西高)
国民体育大会・長崎県予選
9月6日 VS 三菱造船㈱長崎造船所:0対38(於:三菱球場)
1960 年代
この頃から市内リーグに参加し、近隣チームと切磋琢磨した。(~1993年)
全国社会人ラグビー大会・長崎県予選
11月11日 VS 自衛隊竹松部隊:敗戦(於:長崎大学)
国民体育大会・長崎県予選
8月31日 VS 三菱造船㈱長崎造船所:0対65(於:三菱球場)
全国社会人ラグビー大会・長崎県予選
11月15日 VS 九州電力㈱長崎:3対25(於:三菱球場)
国民体育大会・長崎県予選
8月29日 VS 三菱造船㈱長崎造船所:5対31(於:大村園芸グランド)
国民体育大会・長崎県予選
8月21日 VS 三菱製鋼㈱:3対35(於:長崎大学)
1970 年代
長崎県社会人ラグビー大会
10月29日 VS 自衛隊・長崎:22(3-7/19-0)7
松尾、平山、島田、正月、辻、西岡、平山、前川、武田、瀬戸、田中、石橋、荒木、桐野、岩永
11月14日 VS 三菱製鋼(敗戦)
中村、平山、島田、松尾、正月、山崎、西岡、前川、武田、瀬戸、田中、石橋、荒木、桐野、岩永
第五回 長崎・伊丹定期戦
勝者:長崎(於:長崎松山グランド)
時津研修センター(グランド)完成
念願のグランドができ、ラグビー部の公認の練習場となりました。
時津研修センター(グランド)ができるまでの練習場
決まった練習場所が無くてその都度、練習場所を決めていました。竹の子広場、丸尾中G、稲佐山駐車場、飽の浦広場、松山G、時津金型置場等々、いろんな所で練習しました。当時、商業OBの皆様と練習試合を多くしていたことを思い出します。
時津研修センター(グランド)完成して
練習場所で苦労している時、時津研修センターのグランドに行こうと成り、行ってみたら、ソフトボールの試合を行っており準決勝が終わりそうな状況でした。その後、決勝戦のみでグランドのホテル側のトイレ前のエリアが空とわかりソフトボールの試合に影響しないようにして練習を始めたのが最初と思います。レクリエーション行事等で練習できないときは、七工区に移動して練習をしてました。そんな中で、PM3時過ぎたら、多くの場合、グランドが使かえる状態になると分かりました。そういう訳で練習時間が、日曜日PM3時からになったと思います。その後、多くの人たちのご尽力でグランドも公認で使えるようになり、用具置き場(物置)も設置され、ラグビーのポールも立てられ、試合ができるようになりました。
第六回 長崎・伊丹定期戦
引き分け(於:伊丹総合グランド)
10月12日 VS 佐世保工業高等専門学校(引分)
10月19日 VS 長崎西高等学校OB:66(22-3/44-4)7
11月3日 VS 長崎大学経済学部
12月14日 VS 長崎大学教育学部(惜敗)
第八回 長崎・伊丹定期戦
勝者:伊丹(於:伊丹総合グランド)
第九回 長崎・伊丹定期戦
勝者:伊丹(於:長崎松山グランド)
9月17日 VS 西川木材
9月24日 VS ばってん
10月22日 VS 長崎大学経済学部
10月29日 VS 長崎大学教育学部
1980 年代
11月1日 VS 電源開発㈱:28対0
11月3日 VS 三菱長崎機工㈱:4(4-0/0-6)6
12月13日 VS 電源開発㈱
12月20日 VS 三菱長崎機工㈱
大石、畠村、辻、益満、橋田、中尾、馬形、前川、大助、石橋、西岡、山崎、桐野、森田、山本、早尾、原、岩崎
12月12日 VS 長崎市役所:14対0
1982年7月23日 長崎大水害
長崎地方を襲った豪雨により、市及び周辺地区で299名の犠牲者、家屋倒壊など多くの被害を受けた。電機従業員5名の尊い生命も奪われた。長与町では午後7時からの1時間で187mmの降雨を観測。
参考資料:内閣府防災情報のページ「1982 長崎豪雨災害」
第8回九州実業団大会出場
1回戦敗退(対宮崎教職員)
第十一回 長崎・伊丹定期戦
勝者:長崎(於:長崎時津グランド)
第十三回 長崎・伊丹定期戦
勝者:伊丹(於:長崎時津グランド)
第十四回 長崎・伊丹定期戦
勝者:長崎(於:神戸ポートアイランド)
県下一般選手権大会Aパート優勝
決勝:対むつごろうクラブ 8-4で勝利
全国社会人ラグビー大会・長崎県決勝(対三菱重工 長崎造船所)
0対60で敗退 (於:三菱重工グランド)
九州実業団大会出場(於:福岡)1回戦敗退
対新日鉄八幡OB 0-20で敗戦 (於:福岡)
OBと言っても前年まで全日本の選抜メンバーが数名おりタックルしても跳ね飛ばされた。
第十五回 長崎・伊丹定期戦
勝者:長崎(於:長崎時津グランド )
1990 年代
第十八回 長崎・伊丹定期戦
勝者:伊丹(於:尼崎グランド )
第十九回 長崎・伊丹定期戦
勝者:長崎(於:長崎時津グランド)
1991年9月27日 台風19号
・風により電柱などの転倒による停電、交通機関の麻痺状態。そして屋根や瓦が飛ばされビニールシートで屋根を覆う家屋が多数見られた。
・屋根をビニールシート覆う状況は瓦の生産が追い付かず数か月に及んだ。
参考資料:長崎新聞記事
第二十回 長崎・伊丹定期戦
勝者:伊丹(於:伊丹総合グランド )
2000 年代
第二回 長崎・伊丹OB定期戦
勝者:長崎(於:伊丹総合グランド )
第四回 長崎・伊丹OB定期戦
勝者:長崎(於:松山グランド )
第五回 長崎・伊丹OB定期戦
勝者:長崎(於:松山グランド )
㈱東芝と三菱電機(株)の製造業プラント向け電機設備事業部門とTMAE、(TGAJ)が統合し、株式会社TMEICが設立される。
・組織として丸尾工場の大部分はTMEIC社となる。
第七回 長崎・伊丹OB定期戦
勝者:伊丹(於:伊丹総合グランド )
第八回 長崎・伊丹OB定期戦
勝者:伊丹(於:かきどまりグランド )
12月15日 VS 惑惑クラブ(伊丹総合G)
前川・辻・早尾・中川・水間・馬形・結城・津村出場
第十回 長崎・伊丹OB定期戦
勝者:長崎(於:かきどまりグランド )
第十一回 長崎・伊丹OB定期戦
勝者:伊丹(於:伊丹総合グランド )
2010 年代
第十三回 長崎・伊丹OB定期戦
勝者:長崎(於:伊丹総合グランド )
第十五回 長崎・伊丹OB定期戦
勝者:長崎(於:伊丹総合グランド )
第十六回 長崎・伊丹OB定期戦
勝者:伊丹(於:長崎市営グランド )
第十七回 長崎・伊丹OB定期戦
勝者:伊丹(於:長崎市営グランド )
第十八回 長崎・伊丹OB定期戦
勝者:伊丹(於:長崎市営グランド )
第十九回 長崎・伊丹OB定期戦
勝者:伊丹(於:伊丹総合グランド )
「屋外の直射日光下で使用できるフルカラー大型ディスプレイ」技術が米国電気電子学会(IEEE)より表彰制度「マイルストーン」の認定を受ける。
原 善一郎氏が認定取得の為に尽力される。