三菱電機ラグビー部公式サイト

History

三菱電機長崎ラグビーチームの歩み

1920 年代

三菱電機長崎ラグビー部が創部された長崎製作所は、1923年(大正12年)に「神戸製作所長崎工場」として発足。
翌1924年(大正13年)、長崎市丸尾町の三菱電機神戸製作所長崎工場が独立し「三菱電機長崎製作所(丸尾工場)」となる。

・創立時540名の従業員でタービン発電機・船舶用電機品・電動機などの大型重電機の製作を開始した。

三菱電機長崎製作所(丸尾工場)

三菱電機長崎製作所(丸尾工場)

この時代、長崎ではラグビーが大人気で、休日ともなるとあちこちの球場でラグビーの試合が行われていた。
そのような中、1927年(昭和2年)三菱重工長崎ラグビー部が発足する。
当時、重工・長船の吉田義人氏からラグビー精神の指導を受け、職工大会に出場したことが当部の先駆けとなった。
また、翌1928年には三菱系各社の有志により「関東全三菱ラグビー倶楽部」が結成、活動が開始される。

長崎のラグビーの精神歌

「駕籠に乗る人 駕籠かつぐ人 そのまたわらじを作る人」(吉田義人作)
三菱造船 吉田義人氏のフェアプレイを重んじる心をこの歌に込めて歌い続けられている。

1928年

三菱電機 長崎製作所にラグビー部創部

長崎製作所(長電)菱電会ラグビー部の発足。

1930年頃より「四場所[三菱重工(三菱造船)・佐世保重工業(SSK)・三菱製鋼所・三菱電機]大会が開催され、戦中を挟んで1974(S49年)ごろまで開催される。

1928年 本館完成(木造2階建)

(創部当初のエピソード)

昼休み、第三工場の脇にあったわずかな三角広場でパスの練習をした。三角広場から長崎港へボールが落ち流され、パンツ1丁で泳ぎボールを拾いに行きました。

1940 年代

戦中

太平洋戦争の末期、1945年8月9日、長崎に投下された原子爆弾により長崎製作所は大きな被害を受けた。

被害を受けた長崎製作所鋳物工場

原爆による被害

<本工場>
建物全域損壊、従業員4,000人のうち重軽傷者多数。
<鋳物工場>
建物全焼、従業員約200人全滅。(写真左)
<板金工場>
建物全焼、従業員40人のうち死者数名
その他城山寮等でも被災しており、被害者は従業員 289人、女性挺身隊 4人、勤労報告隊 179人
総計472人にのぼった。

戦後

1946年11月1日 「電機まつり」開催

被爆後1年余り、灰烬の中から立ち上がった製作所の姿を一般に公開すると共に従業員一同、復興の感激を新たにし、決意を固める記念日とした。

電機祭(電機まつり)

戦後間もなく「四場所[三菱重工(三菱造船)・佐世保重工業(SSK)・三菱製鋼所・三菱電機]大会が再開されたが、1974年三菱製鋼所の再編(工場移転)により中断。

1948年 城山社宅建設

1949年 鋳物工場復興

1950 年代

長電の戦後復興は被爆後の工場立て直しから始まった。終戦直後は鍋やパン焼器、タバコ巻機などを作っていたと伝えられている。
その後の1950年代は、終戦後の低迷期から脱出し、高度成長期に突入。設備投資が盛んになり業績が伸びていった時代である。

戦後(S20年代)活躍された先輩達

1951年 本館完成(鉄筋コンクリート3階建)

1954年 住吉寮(独身寮)完成

[四場所大会エピソード]

佐世保開催(西海学園G]の時、みぞれ混じりの寒い日で暖を取るのにドラム缶に水を張り薪を燃やして身体を温めた。

1957年 諫早大水害

一昼夜で724mmという記録的な豪雨により782名の犠牲者を出した。

1951年

国民体育大会・九州決勝

10月7日 VS 全福岡:0(0-39/0-27)66(於:平和台)

1958年

全国社会人ラグビー大会・長崎県予選

11月9日 VS 三菱造船㈱長崎造船所:0対56(於:長崎西高)

1959年

国民体育大会・長崎県予選

9月6日 VS 三菱造船㈱長崎造船所:0対38(於:三菱球場)

1960 年代

この頃から市内リーグに参加し、近隣チームと切磋琢磨した。(~1993年)

1962年 体育館完成

1963年 清明寮完成

1961年

全国社会人ラグビー大会・長崎県予選

11月11日 VS 自衛隊竹松部隊:敗戦(於:長崎大学)

1963年

国民体育大会・長崎県予選

8月31日 VS 三菱造船㈱長崎造船所:0対65(於:三菱球場)

1964年

全国社会人ラグビー大会・長崎県予選

11月15日 VS 九州電力㈱長崎:3対25(於:三菱球場)

1965年

国民体育大会・長崎県予選

8月29日 VS 三菱造船㈱長崎造船所:5対31(於:大村園芸グランド)

1965年

11月30日(日) VS造船戦初勝利(11―8)

監督は上田省三さん。メンバーは稲佐の大平湯へ。岩永さんは同窓会の忘年会へ出向く。

1965年 健保会館完成

1965年頃の工場全景

1966年

1月23日(日) VS当惑クラブ

お別れ遠足
3月21日(月) 監督上田省三さんとの稲佐山お別れ遠足

国民体育大会・長崎県予選

8月21日 VS 三菱製鋼㈱:3対35(於:長崎大学)

1968年

第一回 長崎・伊丹定期戦

勝者:伊丹(於:長崎重工⾧崎グランド )

*三菱ラグビーソングは、フォトアルバム(1960年代)に掲載

1969年

第二回 長崎・伊丹定期戦

勝者:伊丹(於:伊丹総合グランド )

2月1日 第二回定期戦(伊丹グランド)

2月1日 第二回定期戦(伊丹グランド)

2月1日 第二回定期戦(伊丹グランド)

2月1日 第二回定期戦(伊丹グランド)

時津中形電動機工場竣工(時津工場スタート)
生産高の増加に伴って生産設備を増強する中、時津工場が新設された。

1969年 時津中型工場竣工

1971年 時津冷熱工場竣工

1972年 板金工場竣工(時津工場)

1970 年代

1970年

年末年始合宿

1月3日 旧時津工場(元三菱製鋼の資材置き場)での年末年始合宿

第三回 長崎・伊丹定期戦

勝者:伊丹(於:長崎松山グランド)

1971年

第四回 長崎・伊丹定期戦

勝者:伊丹(於:伊丹総合グランド)

1971年4月10日 第四回定期戦(伊丹グランド)

1971年4月10日 第四回定期戦(伊丹グランド)

1971年4月10日 第四回定期戦(伊丹グランド)

長崎県社会人ラグビー大会

10月29日 VS 自衛隊・長崎:22(3-7/19-0)7
松尾、平山、島田、正月、辻、西岡、平山、前川、武田、瀬戸、田中、石橋、荒木、桐野、岩永

11月14日 VS 三菱製鋼(敗戦)

中村、平山、島田、松尾、正月、山崎、西岡、前川、武田、瀬戸、田中、石橋、荒木、桐野、岩永

1972年

第五回 長崎・伊丹定期戦

勝者:長崎(於:長崎松山グランド)

1973年

時津研修センター(グランド)完成

念願のグランドができ、ラグビー部の公認の練習場となりました。

時津研修センター完成

時津グランド完成記念大運動会開催

時津グランド完成記念大運動会開催

時津研修センター(グランド)ができるまでの練習場

決まった練習場所が無くてその都度、練習場所を決めていました。竹の子広場、丸尾中G、稲佐山駐車場、飽の浦広場、松山G、時津金型置場等々、いろんな所で練習しました。当時、商業OBの皆様と練習試合を多くしていたことを思い出します。

時津研修センター(グランド)完成して

練習場所で苦労している時、時津研修センターのグランドに行こうと成り、行ってみたら、ソフトボールの試合を行っており準決勝が終わりそうな状況でした。その後、決勝戦のみでグランドのホテル側のトイレ前のエリアが空とわかりソフトボールの試合に影響しないようにして練習を始めたのが最初と思います。レクリエーション行事等で練習できないときは、七工区に移動して練習をしてました。そんな中で、PM3時過ぎたら、多くの場合、グランドが使かえる状態になると分かりました。そういう訳で練習時間が、日曜日PM3時からになったと思います。その後、多くの人たちのご尽力でグランドも公認で使えるようになり、用具置き場(物置)も設置され、ラグビーのポールも立てられ、試合ができるようになりました。

1974年

第六回 長崎・伊丹定期戦

引き分け(於:伊丹総合グランド)

1975年

第七回 長崎・伊丹定期戦

勝者:伊丹(於:長崎時津グランド)

1975年4月26日 第七回定期戦(時津グランド)

10月12日 VS 佐世保工業高等専門学校(引分)

10月19日 VS 長崎西高等学校OB:66(22-3/44-4)7

11月3日 VS 長崎大学経済学部

12月14日 VS 長崎大学教育学部(惜敗)

1976年

第八回 長崎・伊丹定期戦

勝者:伊丹(於:伊丹総合グランド)

1978年

第九回 長崎・伊丹定期戦

勝者:伊丹(於:長崎松山グランド)

9月17日 VS 西川木材

9月24日 VS ばってん

10月22日 VS 長崎大学経済学部

10月29日 VS 長崎大学教育学部

1980 年代

1980年

世界初のフルカラー大型映像装置オーロラビジョン第1号機をドジャーズスタジアムに設置

※オーロラビジョンを開発し、世に送り出したのは造船不況で次の飯の種を必死で探していた船の制御装置や電機品を設計していたエンジニアです。

1981年

第十回 長崎・伊丹定期戦

勝者:伊丹(於:伊丹総合グランド)

第10回伊電長電ラグビー 定期戦記念フラッグ

11月1日 VS 電源開発㈱:28対0

11月3日 VS 三菱長崎機工㈱:4(4-0/0-6)6

12月13日 VS 電源開発㈱

12月20日 VS 三菱長崎機工㈱

大石、畠村、辻、益満、橋田、中尾、馬形、前川、大助、石橋、西岡、山崎、桐野、森田、山本、早尾、原、岩崎

1982年

12月12日 VS 長崎市役所:14対0

1982年7月23日 長崎大水害

長崎地方を襲った豪雨により、市及び周辺地区で299名の犠牲者、家屋倒壊など多くの被害を受けた。電機従業員5名の尊い生命も奪われた。長与町では午後7時からの1時間で187mmの降雨を観測。
参考資料:内閣府防災情報のページ「1982 長崎豪雨災害」

1983年

第8回九州実業団大会出場

1回戦敗退(対宮崎教職員)

第十一回 長崎・伊丹定期戦

勝者:長崎(於:長崎時津グランド)

1984年

第9回九州実業団大会出場

1回戦敗退(対鹿児島国分自衛隊)

第十二回 長崎・伊丹定期戦

勝者:伊丹(於:伊丹総合グランド)

ディスプレイモニターの生産開始

長崎初の量産品としてディスプレイモニター(CRT)を生産開始(時津工場)

・アップル、IBM、HPなどのディスプレイモニターのパッケージを積んだ大型トラックが毎日、何十台も出ていきました。
・高精彩・高輝度を武器に全世界に愛用者を増やしましたが、液晶の台頭で損益悪化し2013年頃に生産を終了した。

1985年

第十三回 長崎・伊丹定期戦

勝者:伊丹(於:長崎時津グランド)

1986年

第十四回 長崎・伊丹定期戦

勝者:長崎(於:神戸ポートアイランド)

1987年

県下一般選手権大会Aパート優勝

決勝:対むつごろうクラブ 8-4で勝利

全国社会人ラグビー大会・長崎県決勝(対三菱重工 長崎造船所)

0対60で敗退 (於:三菱重工グランド)

九州実業団大会出場(於:福岡)1回戦敗退

対新日鉄八幡OB 0-20で敗戦 (於:福岡)
OBと言っても前年まで全日本の選抜メンバーが数名おりタックルしても跳ね飛ばされた。

九州実業団大会/クラブ紹介PDF

第十五回 長崎・伊丹定期戦

勝者:長崎(於:長崎時津グランド )

第15回 伊電VS 長電 ラグビー定期戦

1988年

第十六回 長崎・伊丹定期戦

勝者:長崎(於:大阪万博グランド )

第16回 伊電VS 長電 ラグビー定期戦

1989年

第十七回 長崎・伊丹定期戦

勝者:伊丹(於:長崎時津グランド )

第17回 伊電VS 長電 ラグビー定期戦

1990 年代

1990年

第十八回 長崎・伊丹定期戦

勝者:伊丹(於:尼崎グランド )

1991年

第十九回 長崎・伊丹定期戦

勝者:長崎(於:長崎時津グランド)

1991年9月27日 台風19号

・風により電柱などの転倒による停電、交通機関の麻痺状態。そして屋根や瓦が飛ばされビニールシートで屋根を覆う家屋が多数見られた。
・屋根をビニールシート覆う状況は瓦の生産が追い付かず数か月に及んだ。
参考資料:長崎新聞記事

1993年

第二十回 長崎・伊丹定期戦

勝者:伊丹(於:伊丹総合グランド )

1999年

第一回 長崎・伊丹OB定期戦

勝者:伊丹(於:重工長崎グランド )

2000 年代

2000年

第二回 長崎・伊丹OB定期戦

勝者:長崎(於:伊丹総合グランド )

2001年

第三回 長崎・伊丹OB定期戦

勝者:長崎(於:松山グランド )

かわら版「なんね?どうしたと!」

長電かわら版「なんね?どうしたと!」掲載

2002年

第四回 長崎・伊丹OB定期戦

勝者:長崎(於:松山グランド )

2003年

第五回 長崎・伊丹OB定期戦

勝者:長崎(於:松山グランド )

㈱東芝と三菱電機(株)の製造業プラント向け電機設備事業部門とTMAE、(TGAJ)が統合し、株式会社TMEICが設立される。

・組織として丸尾工場の大部分はTMEIC社となる。

2004年

第六回 長崎・伊丹OB定期戦

勝者:伊丹(於:伊丹総合グランド )

第6回 伊電VS長電 ラグビーOB定期戦

2004年12月 伊丹バドミントン部 リーグ戦で来崎

長電ラグビー部員応援!!

2005年

第七回 長崎・伊丹OB定期戦

勝者:伊丹(於:伊丹総合グランド )

2006年

第八回 長崎・伊丹OB定期戦

勝者:伊丹(於:かきどまりグランド )

2007年

第九回 長崎・伊丹OB定期戦

勝者:長崎(於:伊丹総合グランド )

長電かわら版「なんね?どうしたと!」掲載

12月15日 VS 惑惑クラブ(伊丹総合G)

前川・辻・早尾・中川・水間・馬形・結城・津村出場

2008年

第十回 長崎・伊丹OB定期戦

勝者:長崎(於:かきどまりグランド )

2009年

第十一回 長崎・伊丹OB定期戦

勝者:伊丹(於:伊丹総合グランド )

2010 年代

2010年

第十二回 長崎・伊丹OB定期戦

勝者:伊丹(於:かきどまりグランド )

「第十二回 長崎・伊丹OB定期戦」TV放送 (閲覧にはメンバーログインが必要です)

2011年

第十三回 長崎・伊丹OB定期戦

勝者:長崎(於:伊丹総合グランド )

2012年

第十四回 長崎・伊丹OB定期戦

勝者:長崎(於:放虎原グランド )

2012年8月9日 名誉会長 中島 正徳氏が平和式典で「平和への誓い」を被災者代表として宣誓

参考資料:長崎新聞ホームページ

2013年

第十五回 長崎・伊丹OB定期戦

勝者:長崎(於:伊丹総合グランド )

2014年

第十六回 長崎・伊丹OB定期戦

勝者:伊丹(於:長崎市営グランド )

2015年

時津練習

2015年3月29日 第10回時津練習後

2015年6月7日 第18回時津練習後

佐藤さんの必勝スイカの差し入れ

第十七回 長崎・伊丹OB定期戦

勝者:伊丹(於:長崎市営グランド )

2016年

第十八回 長崎・伊丹OB定期戦

勝者:伊丹(於:長崎市営グランド )

2017年

第十九回 長崎・伊丹OB定期戦

勝者:伊丹(於:伊丹総合グランド )

2018年

第二十回 長崎・伊丹OB定期戦

勝者:長崎(於:長崎市営グランド )

「第二十回 長崎・伊丹OB定期戦」TV放送 (閲覧にはメンバーログインが必要です)

「屋外の直射日光下で使用できるフルカラー大型ディスプレイ」技術が米国電気電子学会(IEEE)より表彰制度「マイルストーン」の認定を受ける。
原 善一郎氏が認定取得の為に尽力される。

参考資料「三菱電機HP/サステナビリティの広場」・・・ラグビーについても語られています。

長崎・伊丹定期戦 歴代戦績記録一覧表

長崎・伊丹定期戦

長崎・伊丹OB定期戦

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