1970年(昭和45年)の思い出

現 役

1970年(昭和45年)は、我がチームにとって、歴史上もっとも過酷な年となった。
年間の公式戦の試合数が、始めて22試合となり、さらに定期戦他、交流戦3試合を含め、25試合を消化。(合宿時の試合、その他の練習試合を除く)
当時は、週二回(水・土)の練習と、日曜日の試合が常態化していた。


(1)兵庫県実業団春季ラグビー大会(5試合)

決勝戦(4/5)で神戸製鋼を破り、初の兵庫県No.1に!

(2)長崎遠征

春季大会優勝の週末に、寝台特急「あかつき」で長崎へ移動、長崎との第三回定期戦に。
その翌日、三菱重工長崎との交流戦に勝利、その日の夜行列車で帰阪。

(3)イギリス海軍との交流試合

長崎から帰った後、兵庫県ラグビー協会からの要請で、当時神戸港に入港していたイギリス海軍の空母(ブルーワーク号)の乗組員との交流試合を行う。
試合会場は、御崎公園球技場(現 ノエビアスタジアム神戸)であった。

(4)第25回 岩手国体

兵庫県予選(5/17~6/7)4試合を全勝して兵庫県の代表に。

近畿予選では、6/14 滋賀県代表、6/21 和歌山県代表に勝利し、最終戦(6/28)は京都の西京極競技場で京都市役所と対戦し敗退(8対70)。

この試合、我がチームは2トライを奪ったが、格下のチームにトライを取られたとのことで、ゴールポスト下に京都市役所の山口キャプテンが全員を集め、はっぱをかけていたのが思い出される。

※この時の京都市役所は、関西社会人Aリーグの優勝チームで、日本代表のフランカー山口良治さんがキャプテンを務めていた。山口氏は、その後に伏見工の監督となり、全国優勝を果たす。

(5)関西社会人ラグビー

関西社会人ラグビー Cリーグで、5勝1敗となり、2位で終える。

試合会場はほとんどが大阪府内のグランドで、大阪城グランドがメイングランドであった。

(6)全国社会人大会予選

全国社会人大会予選(兵庫県・近畿)で4試合を行う。

【この年のハードスケジュールを乗り切ったメンバー】

大西 洋一郎(部長)
岩瀬 嘉夫、堤 透、太田 和明、高橋、大西 良一、横山 恭博、松岡 克美、盛田 俊雄、佐久間 憲三、八木 健、竹野 重蔵、平野 利通、西村 誠、仲泊 勇、石村 重明、足立 誠、今村 武志、三戸呂 克美、前田 達、下舞、浦本、坂本、小出 誠三、多々良 常夫、重安 強、桑田 東重

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