「故・三戸呂さんを偲ぶ会」に出席してきました。

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三戸呂さんを偲ぶ会

①2025年7月19日(土)、「三戸呂さんを偲ぶ会」が三宮で開催され、石嶋さんと私(宮薗)が出席しました。
②主催は、「兵庫頚損者連絡会」の皆さんで、出席者は50名強。石嶋さんと私と娘さん(由里さん:47歳)以外は、頚損者(付き添い者)の皆さんでした。
③石嶋さんと私には、娘さんから、「出席しませんか?」の案内があって、出席させてもらいました。
④三戸呂さんの娘さんとは、2024年1月に三戸呂さんが亡くなったあと、訃報を知らせてもらって、連絡を取り合っていました。

三戸呂さんの足跡

①1965年、三菱電機訓練生として、伊丹製作所に入社、同期は石嶋さん、1年先輩が石村さん、平野さん。
②訓練生3年生のとき、石嶋さんが、ラグビーの試合の助っ人に、三戸呂さんを誘ったそうです。その後、ラグビーに没頭。
③1979年9月、シーズン直前の練習試合で、スクラムが崩れ、HOとして出ていた三戸呂さんが頚損。
④1980年代、リハビリに通っていた大阪で、「大阪頚損友の会」等で、仲間と活動
⑤2003年、「兵庫頚損連絡会」発足。三戸呂さんが会長?2005年神戸で、「全国頚損者大会」を開催
⑥2006年~2018年、「全国頚損者連絡会」会長に就任。この間、世界各国を訪問。
⑦2024年1月21日、永眠。

「偲ぶ会」の様子

①「三戸呂史を振り返る」「メモリアルトーク」等のプログラムで、多くの方が、三戸呂さんの思い出を語っていました。
②石嶋さんと私も、頚損事故の前の、三戸呂さんの思い出を話させてもらいました。
③最後に、由里さん(娘さん)が、皆さんに感謝の言葉を述べられ、閉会となりました。

三戸呂さんの凄いところ

①頚損事故という、一度は、絶望の存底に突き落とされたにもかかわらず、それを乗り越えて、新しい希望・目標をもって、生きられたことにつきます。
②ラグビーの宴会で披露した「俵星玄蕃」をそのままに、頚損事故で、失意の存底にいる仲間たちを励まし、奮い立たせて、活動されたようです。
③偲ぶ会でトークされたすべての方が、「底抜けに明るかった」「励まされた」「希望をもらった」と言っておられました。
④私事ですが、これまで生きてきた中でいろんな「山」「谷」はありましたが、三戸呂さんの生き様は、本当に「お手本」にさせていただきました。

74歳直前での旅立ちはちょっと早かったですが、三戸呂さんの安らかなお眠りを、お祈り申し上げます。

以上

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